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2005.12.1
富澤趣蒐館 富澤孝雄さんより提供
読み下し文
端午の祝儀として
生絹(すずし)二送り給わり
祝着の至りに候 猶
榊原式部大輔をして
申さしめ候条、省略せしめ候
恐々謹言

五月四日家康(花押)
松井佐渡の守殿

今のこのしろ寿し
 小さい頃より明治初年生まれの祖父母に熊野郡には有名な徳川家康の文書が有るんだと、何処に有るかは分からないが、とにかく有るんだと。

昔松井の殿様が久美浜湾で捕れた鮗の粕漬け鰭(すずし)が気に入り、こんな旨いものなら喜ばれるのでははなかろうかと、節句に樽漬け二樽献上したら「なか々の珍味」じやと大層喜ばれ礼状が下げ渡された、其の文書を、何処かが何かの縁で拝領したんだと良く聞かされていたが、幻だった。

今日迄、調べていたが分からなかったが、それが如意寺に有った。

今年の春、神戸の宮園氏より一通の資料 九州松井家三代家譜に記載有り調べるようにと教えられ、すぐ如意寺に走り忙しいなか御無理なお願い致し図らずも端午の節句に遂に「幻の文書」を探し当て提供して戴きました。

本状は如意寺で大事に保管されていた、当時塩谷代官の再三再四督促に仕方無く泣きの涙で返納したのでは無かろうか、薄紙に墨字の輪郭写しで残したのだろう書状中生絹(すずし)とあるが同じよびで糸偏と魚備の違いで無かろうか又榊原式部大輔なる人物は家康の四天王の一人で書記官もしていたと聞き及ぶ文書は代筆でも 署名花押は本人自筆 と地元民として望むところです。

松井康之は九州においても久美浜の(このしろずしすずし)が忘れられず有明海で捕れたこのしろで(このしろずしすずし)を作らせ、今に及んでいる。
今まで伝承され続けて来た事が分かり心の奥が晴れやかになった思いです。

                                     郷土久美浜歴史研究会会長 富澤孝雄記

家康公の文書(写)は綿徳商店で紹介されている

上記の文書は、久美浜町東本町の「綿徳商店」にて紹介されており、見ることができます。

このしろ寿しの起源はコノシロの粕漬け鮨であったことがいわれています。

この文書がなぜ、如意寺にあったのか?ということは定かではないが、塩谷代官から再三再四の催促により手渡さざるを得なかった。
そのとき、写したものが、現存するとのこと。

文政3年豊後日田代官塩谷大四郎の仲介によって松井家に贈られ、今日松井文庫に現存するといわれています。(未調査)

家康公もことのほか、このコノシロ寿しがお気に召したようすがうかがえます。

現在のコノシロ寿しは、粕の変わりに、味付けしたおからが詰めてあり、明治の初期保存食として食べられていました。

いまでは、この季節の珍味として土産物に、また冬の日本酒の肴として地元でも楽しまれています。


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綿徳商店(久美浜町東本町)0772-82-0216 綿徳商店のご主人と奥さん