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豪商稲葉本家(ごうしょういなばほんけ)
久美浜の良さをみんなで活用しよう!


野遺産
久美浜町の文化財を熊野遺産として久美浜百珍としました!




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住所:久美浜町土居
伝によると、当家初代喜兵衛は、織田信長の家臣団、美濃三人衆の一人稲葉一鉄一族の縁者と言われている。当家の家紋「折敷三文字」、当地名の「土居」等が証Lている。

稼業は代々「糀屋」を生業とし、日本海沿岸交易業掛屋等も営み隆盛を極めた。久美浜代官所設置の享保二十年(一七三五)には、幕府の公金預かり所となり、以降は近隣諸藩の金融を独占する豪商となった。

一方、天明大飢饉前後には、多額の金穀を献納し苗字帯刀を許された。
十二代市郎右衛門の事。明治維新山陰道鎮撫総督西園寺公望公の本陣となり、数百名の関係者が宿泊したと記録にある。慶応四年、久美浜縣(丹後・但馬・丹波.播磨・美作)が設置されるや、動産用掛頭取、熊野郡区長、但馬区長を務め、さらに京都府議会開設時の府議会議員、衆議院議員ともなる。

明治十七年には、地租七八○円(約三億円)を納める府下一の多額納税者であった翁は、金融・殖産のために努力し、自家の繁栄のためぱかりでなく町の発展にも努力を惜しまなかった。特に、鉄道敷設には情熱を注いだ。また、歌、書をなした文人であり、『過渡の久美浜』を著した。

十三代市郎右衛門の事。府議会議長(二回)、久美浜町長等を歴任するとともに、京都府農工銀行頭取も務め、本町はもとより京都府の金融産業振興に多大な寄与をした。
また、先代の意志を継ぎ、多大な私財を注ぎ込み、昭和四年念願の久美浜・豊岡間の鉄道開通を実現させた。

喜兵衛が美濃の国(岐阜県)から移住して四百有余年、稲葉家も今日十五代当主を迎え、当家も新しい形で再生された。時空を超えた旅人、喜兵衛の思いや如何…。
母屋 吟松御膳
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神谷神社本殿(かみたにじんじゃほんでん)
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第1回〜第3回までの久美浜百珍
2003年新たに認定された久美浜百珍

野遺産
久美浜町の文化財を熊野遺産として久美浜百珍としました!




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住所:久美浜町新町
現在の本殿は、天明元年(一七八一)八月六日棟上の神事、同年九月七日盛大にに運営祭が斎行されました。

大工棟梁は、久美浜町本町、谷口長兵衛他八人、彫物師は京の長谷川勘佐、金物は京の錺屋藤兵衛らが担当、本殿は、桁行二間、梁行三間、入母屋造、檜皮茸の妻入で、一間の向拝を付け、円柱上に台輪をのせ尾垂木付三手先組物で丸桁を受けて、柱間中備にかえる股を置いた

二重垂木の軒を支え、向拝上は連三斗を三段に組んで桁を受けるという独特の手法を用い、軒唐破風を付属させており、「太刀宮造」と称されて、この地方では類例のない神社建築であります。

本殿のつくりは、出雲地方に多い大社造りの系統を引き・四周に縁をまわすのも大社造りの特徴です。

意識的に見ましても、向拝の竜彫刻、各種の動物の丸彫の木鼻の精巧な彫物群が、虹梁や海老虹染に彫られ、本殿内部は格天井を張り、一枡一枡に絵様が施され精縺繖な組物と相俟ってすばらしい効果を上げています。

昭和六十年五月府の文化財に指定されています。
本殿屋根 本殿 神社入り口

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