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絹本著色松井与八郎像(けんぽんちゃくしょくまついよはちろう) |
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住所:久美浜町湊宮(宝泉寺) | ||||||||
1幅文禄3年(1594) 松井与八郎は久美浜松倉城主松井佐渡守康之の長男である。与八郎は文禄元年(1592)豊臣秀吉の朝鮮出兵に、父康之と共に参加した。しかし戦場で病に倒れ、帰国後間もなく文禄2年(1593)8月15日に没した。18才であった。 康之は大いに悲しみ、供養のための画像を作らせたのである。画像の完成は、翌文禄3年(1594)8月彼の一周忌供養の日であった。 この時代の肖像画としては、一級の作品であり、顔立ち容姿のみならず、その着衣服の紋様も、緑地に花文散の着物と紫地に白の松条文を散らした柞(かみしも)という、当時の特別な染色形式を正確に伝えており、近年海外の博物館の展示にも要請出展され、今に多くの賛辞を集めている。尚、贊並に序は、玄圃霊三和尚の筆であり、朝鮮出兵当時の状態を詳しく記し、好史料となっている。 縦90.0p横37.0p
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熊野十二社権現懸仏(くまのじゅうにしゃごんげんかけぼとけ) |
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住所:久美浜町円頓寺(円頓寺) | ||||||||
2面 鎌倉時代 鎌倉時代の作と見られ、現在2面がある。青銅製の鏡板に、13体の仏、菩薩・明王・天部などを配した、極めて珍らしいものである。 2面共に、熊野十三権現の本地仏を表わしたもので、一万・十万宮の本地仏文珠・普賢を独立させて十三尊としたものである。 裏山「山の神」山頂から経筒と共に出土したが、発掘年代は不詳。
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