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朝日長者屋敷跡(あさひちょうじゃやしきあと)
久美浜の良さをみんなで活用しよう!

第1回〜第3回までの久美浜百珍
2003年新たに認定された久美浜百珍

野遺産
久美浜町の文化財を熊野遺産として久美浜百珍としました!




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住所:久美浜町旭
旭港は、大型船が出入りした唯一の港で、江戸時代は熊野郡の上納米を、千石級の船で、この朝日港から発送され、また諸国の大型船が寄港した港である。今も大型船をつないだ繋止めが、岩に数多く残っている。

山が海の近くまで迫り・陸路もなく発展しなかったのは残念である。
村の西、海抜100mのところに、長者屋敷跡がある。「日本国史談」に依れば、聖武帝4年(728年)「諸国に稲置を置く、この時味錬磨呂を以って、丹後の国日村において、朝日長者となす。」と書かれている。

へき地に勤める役人の処遇と思われる。このところは、東は丹後半島の間人から・西は但馬の鎧まで一目で見える処で、船見張りの格好の場所で中世国防上の重要なところであった。大陸と丹後。距離は遠いが潮流と風で非常に船の来やすいところである。
又、1200年前の日村朝日が今、旭村と呼ばれ、あまり変っていないのは珍らしい。

昔の手鞠歌に「朝目ざし夕日かがやく三枚畑に 黄金千枚 縄千束」とその長者振りを歌われた。縄とは銭を通した縄の事であ孔この長者もこの土地で葬られたが陵と呼ぶ地名がある。

天然の良港 旭港 もやい岩と案内板
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湊船見番所跡/日村砦趾(ひむらとりであと)
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第1回〜第3回までの久美浜百珍
2003年新たに認定された久美浜百珍

野遺産
久美浜町の文化財を熊野遺産として久美浜百珍としました!




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住所:久美浜町湊宮
大向の氏神広峰神社の山の頂上に、日村砦趾がある。朝日の船見番所は、ここに移されたようである。天正の初め足利の浪人松倉周防守ここに配置される。

松倉氏はここへの勤務を嘆き「船路ゆく別れ思えぱぬれぎぬの乾きもやらぬ日村岳野辺」と嘆いているが、やがて天正7年丹後平定の意図のもとに細川藤孝は、台風の時期も過ぎた旧暦9月11目、丹後三郡の攻撃を海上から始めた。熊野郡は第一陣松井佐渡守日村(湊)に向い、勝手を知る水軍は手足の如く働き、またたく間に日村砦を落し、油池、坂井、浦明、佐野、大井城を落す足場とした。尚松井氏は余勢を以って、鱒留五箇を屠り、新治まで進んでいる。

その後松井氏は稲荷山に熊野郡の陳代として権勢を誇っていたが、主君細川氏が九州へ御国替えとなり、慶長5年主君と共に九州へ移る。その後も船見番所として用いられていた。

享保2年、時の代官海上弥兵衛は船見番所を広げ・同じく20年には久美浜に移転する。この時の役人は手代、書役18人、内7名は江戸詰めとなっている。朝日村から日村(湊)へ移った船見番所は、ここから消え久美浜へ移り代官所と変る。(1712年)
舟が出入りした水戸口 はるかの外海 海上神社のある城山稲荷




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