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宝泉寺(ほうせんじ)
久美浜の良さをみんなで活用しよう!

第1回〜第3回までの久美浜百珍
2003年新たに認定された久美浜百珍

野遺産
久美浜町の文化財を熊野遺産として久美浜百珍としました!




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住所:久美浜町湊宮
村の中央に宝泉寺がある。本尊観世音は慈眼大師の作である。
松井城主の息与八郎画像は重要な京都府指定の文化財である。数年前アメリカヘ出展され・研究された逸物である。

外に雪舟陶澗常信等の名画がある。

嘉永元年正月・村の大半が焼ける大火災があり宝物と山門と観音堂が、ようやく焼失を免れている。

【薬師如来の縁起】
この薬師如来は、恵心院僧侶であった源信(恵心僧都)の手彫りしたものと伝えられ湊村小嶋禅寺に祀られていたもので、時は元禄13年(1700)小嶋禅寺の荒廃が激しいため湊五軒家の木下家五代重直が主体となり、お堂を修復し京都の仏師に依頼して新しく装飾を施し、原形に復旧した。

重直の父貞延は仏門に帰依してこの寺で生涯を全うしたという。後に、大向小嶋薬師堂と称されるようになり、近世になって薬師堂が廃寺になった際に宝泉寺に引き継がれたものである。以後、湊の薬師さんとして親しまれています。
本堂 薬師如来
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長砂の展望
久美浜の良さをみんなで活用しよう!

第1回〜第3回までの久美浜百珍
2003年新たに認定された久美浜百珍

野遺産
久美浜町の文化財を熊野遺産として久美浜百珍としました!




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住所:久美浜町湊宮
湊から葛野に至るあたり長沙がある。京の都へも割合近く、宮津湯島を近く控えた、.景勝地曰間の湊には、室町時代から数多くの貴族高官が訪ねている。

かぶと山もここからの眺めが最もよく、数多くの岬が入りこみ何如なる名高い人口の庭園も及ばない。

和歌は昔の模様をそのまま残している。
・能因法師
「思うことなげれぱ濡ぬ我が袖は
かたしある野辺の萩の露哉」

※能因法師
俗名橘永ト(ながやす)。法名は初め融因、のち能因に改称した。父は肥後守橘元ト(もとやす)かという。子に元任と女子一人がいる。

大学に学び、文章生となるが、長和二年(1013)、二十六歳の時出家し、摂津国に住む。諸国を旅し、奥州・伊予・美作などに足跡を残した。ことに陸奥旅行での作「都をば霞とともにたちしかど秋風ぞふく白河の関」は名高い。家集には馬の記事が多く見えることなどから、馬の交易のため各地を旅していたとみる説がある(目崎徳衛)。歌は藤原長能に学び、歌道師承の初例とされる。

長元八年(1035)の関白左大臣頼通歌合、永承四年(1049)の内裏歌合などに参加。和歌六人党の指導的立場にあり、また源道済・藤原公任・大江嘉言・相模ら多くの歌人と交流をもった。自撰の家集『能因集』がある。著にはほかに私撰集『玄々集』、歌学書『能因歌枕』がある。後拾遺集初出。中古三十六歌仙。


・丹後守頼景
「夕汐のさすにまかせて港辺の
味間に浮ぶ海女の捨舟」


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