久美浜百珍 「久美浜百珍運動」とは…   久美浜にある「現在」「これから創り上げる」良いものすべてを、自慢にしていき、これらの活用、新しい自慢の種づくり活動を進め、皆が元気になっていきたいと頑張っています。
認定旅館・民宿遊び体験自然野菜特産品紙芝居店舗最新情報熊野を歩く問い合わせトップへ

風土と歴史にふれる旅
天領地から久美浜縣へ(歴史巡り) −幕末〜明治維新にかけて活況を呈した4年間−
KTR久美浜駅に降り立つと、威風堂々とした建物が迎えてくれます。
久美浜の由緒ある歴史を物語るKTR久美浜駅です。
かつて久美浜は脚光を浴びた歴史がありました。
そんな「ふるさと」を感じながら歩いてみるのも、また格別なのかもしれません。

(KTR久美浜駅周辺巡り)

このページのINDEX
ルートガイド
歴史ガイド
天領だった頃
御陣屋の清水
幕末から維新久美浜縣設置へ
久美浜縣設置
参考館(考古館)
久美浜縣廃止

ルートガイド
1(徒歩3分) 2(徒歩1分) 3(徒歩5分)
KTR久美浜駅 神谷神社参道 神谷神社本殿
KTR久美浜駅 神谷太刀の宮への参道 神谷神社 本殿
4(徒歩5分) 5(徒歩20分・階段あり) 6(徒歩10分)
久美谷川桜 稲葉本家庭園 東山公園つつじ
久美谷川沿いを散策(3月末〜4月初) 豪商稲葉本家 東山公園(こんぴらさんのつつじ5月初)
7(徒歩15分) 8(徒歩10分) 9(久美浜駅へ15分)
本願寺 浜公園 如意寺
本願寺 浜公園 如意寺

歴史ガイド
天領だった頃
久美浜が天領(幕府直轄領)となったのは、寛文6年(1666年)から。
当時、代官所は京都府加佐郡にありました。

久美小掲示 御陣屋清水
久美浜小学校前にある掲示板 御陣屋(ごじんや)の清水
(クリックすると大きい画像で見られます)

代官所が、久美浜町の湊宮の地に移されたのは、久美浜が丹後・但馬の中心地であったこと、小西家を中心とした海運五軒家が、旭港を拠点として活躍していたことから年貢輸送などに便利な場所にしたと考えられています。
船見番所がおかれ諸国の廻船や御城米入津のときの改めなどを行っていました。
享保16年(1731)より、湊宮陣屋での仕事が始まりましたが、さらに陸上輸送に便利なところが必要となり、海を生かしながら陸上輸送に便利な久美浜に代官所が移されました。(久美浜小学校付近)

御陣屋清水
 享保20年(1735)に湊宮船見番所の陣屋を時の代官海上弥兵衛により久美浜松倉山の山麓、殿町(現在の西本町)に移し、久美浜代官所を設置以来、慶応4年正月(1868)まで133年の間、31代の代官に受け継がれ、久美浜を中心として丹後・但馬の広い地域に点在する幕府直轄領(天領)を管轄、地方行政の中心地として栄え、多くの名代官を生んだ。
その松倉山の山麓、陣屋敷地にこんこんと湧き出る清き水を「御陣屋清水」として親しみ、町内外の多くの人々が憩いの清水として、その名も高く、久美浜の名水に数えられる。

幕末から維新・久美浜縣設置へ
丹後・但馬・丹波の三丹地方は天領であったことから、幕府勢力が強いとみられていました。
そこで、倒幕側は「山陰道鎮撫総督」を派遣、西園寺公望が総督に任ぜられました。鳥羽伏見の戦いの戦火が静まる事ない慶応4年1月、一隊が通過、本願寺・稲葉本家に分宿し、代官と談判しました。

2月になり、「官軍出張所」となり、長州藩士小笠原美濃介が代官領内支配権を委任されました。

久美浜縣設置
慶応4年(1868)5月、正式に久美浜縣が設置。権知事伊王野治郎佐衛門来丹、官軍出張所から久美浜縣庁になり、丹後・但馬・丹波・播磨・美作の5カ国23万石を管轄しました。
参考館
久美浜縣の玄関棟だった参考館

久美浜縣庁…現在の城山(久美浜小付近)にありました。(約7000坪)

縣庁が設置されると久美浜は活況を呈し、旅館は16軒から20軒に増え、商売を始めるものも多く、料理屋も繁盛しました。

明治3年(1870)3月=久美浜縣小学校設置=長明寺→円照寺へ
明治4年6月=物産会社設立
明治9年9月=県立病院設置=西方寺



参考館(考古館)=旧久美浜縣庁舎御玄関棟
考古館は、慶応4年()明治元年5月に設置された旧久美浜縣の縣庁舎の一部分で、久美浜の明治初年の歴史を語る建造物です。

慶応4年正月、京都の鳥羽、伏見で薩摩、長州連合軍と幕府軍の戦い(戊辰の役)が行われる中で、山陰道鎮撫総督を任命(1月3日)された公家の西園寺公望(当時18歳)はじめ約300名の少ない一行は、山陰地方鎮撫のため、京都を出陣しました。

各藩を鎮撫し、久美浜では代官所を徴収し、久美浜官軍陣営のうち官軍出張所となりました。
久美浜縣設置(慶応4年5月17日)とともに、初代の県知事、伊王野治郎左衛門(鳥取藩士)県判事、松本麟太郎(松本藩士)ほか40名が赴任、旧久美浜代官所、生野代官所支配地その他社寺領など丹後、丹波、但馬、播磨、美作の五カ国を管轄し、管轄地約23万石余。

棟札銘文によると、旧代官所は手狭かつ荒廃し、翌明治2年秋、管内の救窮も兼ねて新庁舎の造営工事が始まりました。
代官所跡地を広め、約7000坪の敷地に、三方に溝川を流し、丹後国与謝郡大原村(現岩滝町)大工棟梁高岡豊助義為、木工棟梁久美浜田辺屋又平らの職人により、江戸時代武家屋敷様式そのままを受け継いだ木造丹瓦屋根の庁舎が建立されました。
久美浜縣正門
豊岡市にある久美浜縣の正門


正面に総ケヤキ造りの「薬医門」という種類の正門(豊岡市文化財に指定)縣舎、官邸、馬舎など「御役所」「御玄関」「御台所」の3棟の建物が渡り廊下で接続される総建物面積約400坪の壮大な構えを見せる県舎が明治3年5月5日に完成しました。

明治4年11月、久美浜縣廃縣、豊岡縣設置に伴い新築されたばかりの庁舎一切そっくり移築されることになりました。
明治9年8月31日、豊岡縣廃縣、管轄地は兵庫県京都府に分割。

建物は、城崎、美含郡役所として使用、大正12年、郡役所が鉄筋コンクリート造りに新築されることになり、久美浜町有志、特に当時神谷神社宮司佐治正章氏の執念とも言える尽力により県庁舎の玄関棟の一部を神谷神社の隣接する私有地に再移築、太刀の宮社務所兼、当時は丹後、但馬の唯一の資料展示室であったが、戦後、新設された久美浜簡易裁判所庁舎として使用されていました。

久美浜縣廃止
5カ国の広い範囲を北端の久美浜に統治所を置くことは、若干の問題があり、旧生野代官所支配地を中心に強い反対運動を起こしました。

明治2年8月但馬・播磨の180ケ村が分割され生野県が置かれました。

分割は当時の中央政府の意に反することであり、合併をまとめるために、県庁所在地を地域の中央に移すことになり、明治4年(1871)11月「久美浜縣廃止、豊岡県設置」となりました。

【みどころ】
KTR久美浜駅、参考館(久美浜県玄関棟)、神谷神社、久美浜駅、豪商稲葉本家、本願寺、如意寺
花=みつばつつじ(如意寺)、つつじ(東山公園)、さくら(久美谷川)
認定 ‖ 旅館民宿 ‖ 遊び体験 ‖ 自然野菜 ‖ 特産品 ‖ 紙芝居
店舗 ‖ 最新情報 ‖ 熊野を歩く ‖ 問い合わせ ‖ トップへ
熊野を歩く
indexページへ

天領地から久美浜縣へ

ミルク工房 そら
そらマーク
搾りたての美味しいジャージー牛乳で作ったアイスクリーム・チーズはいかがでしょう?
可愛い子牛とも遊べます
オリジナルバター造りもできます
(有)丹後ジャージー牧場
↑このページのTOPへ