マップ内 No71
 「吟松御膳」[西園寺公望公が食されたとする「とろろ飯」]


<ここが自慢>
江戸時代末期に建てられた茶室「吟松舎」にちなみその名がつけられました。
「吟松御膳」は、西園寺公望公が食されたとする「とろろ飯」です。
香ばしいあつあつの麦飯に、丹後の豊潤な大地で育てられた自然薯を丹念にすった粘り強いとろろ飯とうなぎの相性は最高。


蜂須賀斉昌公来遊に際し、江戸期に建てられたと伝えられる建物。妻入桟瓦葺き切妻造りの平屋建てで、桁行3間、梁行4間半の主体部に東側へ座敷(8畳)部・西側に口の間(6畳)を張り出している。奥座敷は床の間、違い棚、付書院を定型に配している。

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豪 商 稲 葉 本 家
 〒629-3404 久美浜町土居3102
 TEL.0772-82-2356 Fax
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簡易パンフレットになるマップを用意しました。お出かけの際にご利用ください。
マップ内 No.72
 紙芝居「一杯の粥」 [湊宮の繁栄の歴史と地域の人々の暮らしと命を守ったお話]

湊の五軒家は金融業両替商、晩年には酒屋酒造家でした。小西家が一番古く、小西家は本座屋(ほんざや)、分家に新シ家(あたらしや)、下屋(しもや)とあり、ほかに木下(きした)、五宝(ごぼう)家がありました。
上写真−小西伯熙

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<ここが自慢>
隆盛を極めた五軒家
かつて湊宮(みなとみや)には「五軒家」といわれる廻船業・両替商・酒造業を営んでいた豪商がありました。
五軒家のもとに、子方があり、すべて五軒家のおかげで湊宮の村民の生活は成り立っていた。

江戸時代の三大飢饉の一つといわれる天明の飢饅の際、惨状を不憫に思った湊宮の五軒の大廻船業者(五軒家)が、倉から米を出して粥を振る舞い、多くの人々を救った。

その後、亡くなった人々を供養する群霊曝骨墓(ぐんれいばくこつぼ)、大石塔(おおぜきとう)が建てられ、以来、今日まで供養されています。

湊宮の繁栄の歴史と地域の人々の暮らしと命を守ったお話。

久美浜百珍の会 紙芝居部会
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